しろくまが、歩く町、チャーチルの人達
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しろくま、ホッキョクグマが歩く町、チャーチルの人達
(その五)
チャーチルの先祖達は、何していたの、何処からやってきたのか?


毎日、先住民達を見ていると、いつの間にか彼らの遠い先祖を知りたくなる。彼らは、なぜ寒い地方へ移動しなければならなかったのか?どうしてチャーチルへ来たのか?何を食べていたのだろうか?着る物はどんな物だったか?どのような暮らし方をしていたのだろうか?それをかんがえるとゾクゾクするような気持ちになる。

生きていくためには、十分な食べ物がなければならなかったし、そのための壮烈な闘いがあったに違いない。彼らは何のハンターであったのだ。

カナダのヴィクトリアにあるロイヤル・ブリティッシュ・コロンビア博物館には、マンモスを狩る先住民のジオラマが迫力ある場面を再現している。、ニューヨークにあるアメリカ自然史博物館やロンドンの自然史地質学博物館の巨大生物の化石のかけらも見るたびに驚かされる。

 骨組みだけでも、かれらの息づかいや、"ズシン!ズシン!"という大きな足音が聞こえてきそうである。骨格標本に、顔を近づけてみれば、太古の動物の体温を感じる。だが、大きな牙や歯は、いつ見ても恐ろしい。太古、暴れまわっていた姿を推測することは、過去と現在の謎を解くばかりか、未来をも予測させてくれる。

 彼らはあるとき地球上から姿を消した。6500万年前まで、闊歩していた恐竜は、巨大な隕石が地球と衝突したため地球が寒冷化して絶滅したという。
 地球の寒冷化、温暖化は周期的に何度も繰り返され、生きものの大量絶滅につながっている。この五億年の間に、少なくとも13回もおきている。
 

恐竜の中には、50トンを越えるのもいたようだ。このような巨大な生きものは、温度が変化したので大量に食べていた草木が減少したため生残れなかったのだろう。もちろん、草食獣が減れば、肉食獣も消える運命となる。しかし絶滅まえには、その巨大な体を支えるだけの食べるものがあったことは間違いない。


                    *

 一つの文献資料の発見、新しい考古資料の発見(遺跡、土層、遺物・・)のニュースは、謎解きをしてくれる。時空を超えた謎解き「知的発見の旅」へ向かっている自分の姿が踊り出す。

そして毎日のように、先住民達を見ていると、いつの間にか彼らの遠い先祖を知りたくなる。彼らは、なぜ寒い地方へ移動しなければならなかったのか?どうしてチャーチルへ来たのか?何を食べていたのだろうか?着る物はどんな物だったか?どのような暮らし方をしていたのだろうか?それを考えるとゾクゾクするような気持ちになる。

  *

"ブライアン。かれらはいつ頃チャーチルへ来たの?彼らは何を食べていたの?アザラシ?"
"地底から来たと言っただろう。アザラシだって?おまえはおめでたくできているなあ〜"と、ニヤリとする。

"Hisa! 俺の先祖はな、コザックなんだ。ロシア系白人と言うことになるな。エスキモーだってインディアンだって、みんなよそから来たんだぞ。おまえだってな・・・。みんなチャーチルとアザラシを結びつけたがるんだな・・・。おまえは、自分の先祖を考えたことないのか?"という。
 

その目つきには、"しっかり勉強したら"と言うのと、"何にも勉強しなでチャーチルへ来たのか。だめだな〜"と2つのことを言われているような気がする。ブライアンに、自分がすっかり見透かれているようだ。

   

"学ぶと言うことは、次の問を考えること”と、先人の教えがある。まさに、チャーチルの先祖達のことを考えると、次から次へと知りたいことが沸き出てくる。”学ぶ”と言うより、問いの山になっている。知りたいという知的好奇心がふくらんできて、子供の心がよみがえってきた。

”日本人は、モンゴロイドさ”とブライアンに当然知ってるかのように強がりを言う。と言いながらも心にはチャーチルの先祖達の姿への問いばかりが並んでいる。

    *

社会人になった年、ボーナスを貰ったのですき焼き用牛肉を買い、お世話になった方の所へ行ったことがある。買い物べたであったので、”6人分の肉を下さい”と尋ねた。肉屋の店員は、”一人200グラムだな”と言うので、全部で1.2キロ買って訪問したことがある。訪問した家の人が”バカね!こんなたくさん買って。薄給なのに”と言われたことを思い出す。他にもおかずはあったので、ずいぶん肉を食べ残したことが懐かしい。

 1万年前、人類の先祖たちは、1日1人当たり600グラムは肉を食べていたとする。5人家族なら毎日3キログラムの肉が必要になる。10家族の集落とすれば、年に11トン。
 

当時、カリブー(ユーラシア大陸では、トナカイと言う)50−70キロ、リングイッド・アザラシ50−120キロ、マストドン、ケサイ600キロ、バッファロ−250キロ、ケナガマス1−6トンなどがいた。

全量が食べられるわけではないが、カリブーなら35〜50キロの肉がとれたのではないか。この集落を養うためには、年間約220〜300頭のカリブーを狩らねばならなかった。
 

狩猟用器具は、小さな石や骨で作った槍や斧であったから、至近距離まで近づかなければならなかった。カリブーのように季節に移動する動物となると、年に2度しか巡り会うことができない。寒冷地では極めて限られた時期だけであった。
 

いくら狩っても小さな動物だけでは、彼らは飢えから守ることは、至難であっただろう。巨大動物に頼らざるを得なかっただろう。「動きが遅く、巨大な草食動物の肉」しかない。

それは・・・・?

”彼らの先祖達の足跡を探ってやるぞ"と、考古学者か人類学者のようになったように気持ちはすっかり高ぶってくる。  

(続く)

 

 

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