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しろくま、ホッキョクグマについて、教えて!
―レストラン"トレーダーズ・テーブル"の仲間たちー(その一)

 (親切な人いるかな?口を聞いてくれるかな)

1950年、当時チャーチルは旅行者にとって滞在するのは難しい場所だった。町(あるいは村、集落)より、少し離れた所にある軍の設備、町はずれにある巨大な穀物 倉庫や教会を除けば、数軒の建物があるだけだった。宿も商人宿が一軒あるだけで、この宿を除けば食事をする場所もなかった。

鉄道の駅だけは、当時から今日に至るまで立派だ。

宿と言っても、ペンキすら塗ることのな い納屋と言った方が似つかわしい建物だ。歩いていて、お茶などに自宅に呼ばれたら、それは天国だ。

いまでも、ここに滞在することの難しさは容易に想像できる。特に 、シロクマが見られる秋には、ホテルやB&Bは、その収容力は限られているため、予約がなければ、駅にでも止まるしかない。観光客がこない冬の人口は、600-700人くらいに減る。

しかしシロクマに会える秋には、延べ1万人くらいの観光客が、世界からくる。勿論一度に来たら、乗り物も、宿泊設備、食事をする場所も、今でも十分 ない。だから、ここに来るには、飛行機も宿も一年前に予約をしなければならない。宿代も観光会社に払うお金も、全額前払いしなければならないし、基本的にはキャ ンセルしてもお金は戻らない。時には、現金以外は、使えないところもあるから、旅行者は注意が必要だ。

スーパーマーケットは、2軒あるが商品の選択は限られている。ガソリンスタンドもレンタカー屋も一つであるから、何でも仲良くしていなければ生きていけない。強気な商売の仕方は、今でも同じだ。 

そのためか、チャーチルには、ここ独特の習慣があるように感じる。むしろ掟があると旅人は、覚悟する必要がある。

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チャーチルに到着した日、真っ先に行ったのは、宿から歩いて10分ほどの場所にある極北の製品を扱っている店―Arctic TradingPost 交易所―、の中にあるレストランだ。北極からくる烈風を避けるように肩を寄せあうように続く木造作りの家並みは、昨日までのブリザードで、すべて白く凍りついている。

この頃、午後4時には日が暮れるから、その後は歩いて いる人を、見かけるのは難しい。夜目には、車もスクールバスの黄色以外、あとは真っ白だ。わずか西に行けば、チャーチル川河口の港に出る。北に5分も歩けば、北極 圏までつながっている巨大なハドソン湾が口を開けている。

町の東のはずれから西のはずれまでは、歩けば10分ほど。車もあまり見かけないが大きな道を挟んで南には、 汽車の駅と一列の家並みがあるだけだ。汽車は週に三回便があるが、道路はほかの町までは続いていないから、大自然の中に置いてきぼりにされたような孤島だ。所々にある街灯は、裸電球のようで足下も十分明るく照らしてはくれない。

写真以外に想像すら出来ない地球のてっぺんに近い地だ。ここまでくれば、なにか違う地球があると、胸がワクワクする。とにかく"自分の足で、旅してみよう。そうす ればきっとなにかに巡り会える。人生の宿題の回答があるぞ"と言い聞かせる。自分を鼓舞しているのか、慰めているのだろうか。 (続く)

(C)1997-2006,Hisa.