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犬ぞりで、ハドソン湾を走る(その三)気になることばかり。

(白瀬中尉と犬達との別れと日本南極探検昭和基地の犬タロー、ジロー)

極地探険には、栄光や科学的成果だけでなく、その影には名声を支えた家族や友など様々な支えがある。しかしその多くは、表には姿を現すことは少ない。

1958年、日本の第一次南極観測隊の越冬隊が悪天候のため撤収しなければならなくなった。しかし10頭以上の犬ぞり用・樺太犬まで撤収するのには、天候が許さなかった。犬を氷原に置いてきた隊員達の胸詰まる思いは映画にもなった。幸いなことに翌年訪れたときには。二頭(タローとジロー)だけでは会あったが生き延びて再会 ができた。もう忘れられようとしている話だ。その当時には、書店にもたくさんあったタロー・ジローと南極物語の本は、今はもう姿を消している。

1910年、白瀬中尉は、日本人では初めて南極大陸に日章旗を掲げ、国民から歓喜 で迎えられた。しかし追加した犬もあわせて、58頭の樺太犬のうち半分は途中で死に、最後に残った元気な26頭のうち20頭は南極に置き去りにしなければならなかった。それは帰りの船の飲料水が犬までには回す余裕がなかったからの決断である。

南極の氷原に残された犬たちは、遠ざかる船を見つめながら、いつものように頭をな ぜて貰おうと尾を振っていたのか、それとも少しでも近づこうとして吠えていたのだろうか・・・・隊員達にもやりきれない試練だったろう・・・・・・・。 栄光の影と言え、むごすぎる物語である。

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チャーチルの春、でも空っぽ。日毎に10〜15分位ずつ昼間が長くなり、地球の端とも言えるチャーチルにも春が来た。温度こそ氷点下だが、確実に春だ。真綿のように真っ白なホッキョクウサギも雪を掘って草を食べ始めている。昨年11月には、3時には夕日が見られたが、この時期9時にならないと日は沈まない。夏には、夜12時頃まで夕日は見られないと言う。だから今は春だ。

秋には、町のどこでも見かけられた"歩くな!シロクマに注意 !"の看板はもう取り払われて見あたらない。しかし数千頭というベルーガ(しろくじら)が泳いできたり、花が咲く短い夏まで、観光客も来ることは少ない。一歩町を 出れば、ツンドラが続いているだけで、あとはない。相変わらず空っぽである。

町の中も、歩いている人はほとんど見かけることなく、時々、屋根のないバギー・カー( 3輪ないし4輪車)が走っているだけだ。秋、シロクマ・シーズンには、6軒位開いていたレストランも今は2軒だけだ。おまけにいつ行っても、客なしの空っぽだ。こ の時期、町には仕事もないし、何もかも空っぽだ。むしろ本当の極北の生き方が、見える。

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雲一つ見えない晴天だ。"プー、プー"とブライアンの車のクラクションが宿に響く、 迎えのサインだ。宿の窓越しに、"おはよう。今、行くよ!"と言う代わりに手を振る。これがいつもの朝の挨拶になる。この時期春と言っても、着る物は真冬と同じであ る。よく見ると、トラックの後には大きな4枚のカリブー(トナカイの一種)の毛皮と犬ぞり用のハーネスが積んである。いよいよ犬ぞりの訓練へ出発だ。どんな写真が 撮れるのか、胸が躍る。

"Hisa!そりは、9頭立てがいいかな11頭立てにしようかな?"とブライアンはニタニタしながら言う。

彼のニタニタ笑うのはいつも下心がある。日頃からカナディ アン・エスキモー犬の引っ張る力のすごさを知っているので、"だめー!5頭立て!でいいじゃない"と言うが、ニタニヤするだけで聞いてくれない。

最近カナダでは、 一頭の犬でスキーを曳かせるのがナウイスポーツになっているという。一頭でも十分楽しめるのに、9頭ではどんなことになるのだろう。結局、9頭と言うことになる。 5頭がいいと言い張らなかったのが、後で後悔する。 (続く)

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(C)1997-2006,Hisa.