チャーチルの夏、命輝くところ
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チャーチルの夏、そこは命が輝くところ
 極北では、尺度が違う

(その一)カナダガンの親子

「虚実」と言う言葉がある。辞書を引くと「実」とは毎日の生活の中で体験することすべて、食べたり, 話したり、そして触れたりできる世界のことだ。それに対して「虚」とは、人が思い描く世界のことになる。

チャーチルは, 氷,雪それに烈風しかない。それが「実」である。

"一度、夏にいらっしゃいよ。全く違うチャーチルに出会うことができるから"と宿のアンがすすめる。

"5月になると空一杯にハクガン飛んでいるよ。それに夜になると、ベットの中からもハクガンが騒いでいるのが聞こえるの。何もかもが息を吹き返す時よ"、それは信じがたい光景である。

"6月の終わりは最高よ。緑一杯、それに草木も、動物も子孫を残すために大忙しになるの。海の氷が溶ければ, 白鯨(ベルーガ)も何千頭とやってくる。もっとも去年の8月は、半ば過ぎには去年は雪降ったわ"と目を輝かす。

”9月も楽しいのよ。ベリー(いちご)が熟すの。息子のアイザックや娘のマディとバケツもってベリー摘みよ。時には、近所の人達も一緒に行くの。もうお祭りよ。Hisa!夏に来るのよ”とまるで決めつけている。

こんな遠くにも、気のかけてくれる人達がいる。

”いつか夏のチャーチルへ行こう”

”Hisa!ベリーを摘みながら、口の中が紫色になるまで食べるの”と、話を聞くだけで心がウキウキしてくる。

夏を経験してみたい、と思い始めてから何年かが過ぎた。いつも見るチャーチルは氷ばかり…。青空を見てみたい。

氷に閉ざされた中では、緑色の草木が風にそよぐのを想像するのはむずかしい。ましてや花が咲きみだれているなど考えもつかない。.

夏のチャーチルは、行くまでは私の「虚」の世界なのだ。
    *

日本での仕事が一段落したので、急遽チャーチルへ行くことになった。セーターや手袋を鞄に放り込む、もちろん毛糸の帽子もだ。

チャーチルへ出発のため、車で成田空港へむかう。途中、車で走りながら温度計を見ると、37度になっている。いくら梅雨の一休みといえ、大変な暑さだ。7月1日(2001年)と言えば、東京では、梅雨明けにはまだ間があると言うのに。

この日, カナダでは建国記念日である。チャーチルでは, 夏本番を迎えていた。経由地であるウイニペッグでは、ジャズフェスティバルが行われていた。待ち遠しかった夏がやって来た。

ウイニペッグからの上空で見る景色は、どこまでいっても緑の絨毯だ。あの雪や氷の白はどこかに消えいた。黒っぽかった木も、緑色に変わっている。この極北にまで、夏の光が射している。

秋や冬には、まったく見られなかったが、湖沼の水もが、きらきらと輝いている。ここでも地球が生きているのだ。

"Hisa!よく来たな"と、空港にはブライアンが迎えにきている。彼は、7月というのにセーターとゴム製の胸当てズボンをはいている.それにゴム長靴だ。緑一杯のチャーチルとは言えども、やはりここは寒い極北だ。

挨拶の握手が終わると、"見せたいものがあるんだ"とブライアンは、荷物を担いでトラックに向かう。宿へ行くのは後回し、早速冒険の始まり。

生まれ環境も生き方も全く違うが、いつも明るい笑顔でこのひ弱い都会人を待っていてくれる。人生は不思議なものだ。

空港から車で15分、海岸線にでる。道路からは見えないが、傾斜を少し下ると、ハドソン湾が広がっている。

前年秋遅く日本に帰る時には、すでに真っ白に凍っていた。ハドソン湾の流氷も後退し、ただ波が静かに打ち寄せているだけだ。

そこでは見渡す限り、カナダガンが子育て真っ盛りである。

"Hisa!見ろ.何千羽のカナダガンを゛見渡す限り、カナダガンの群だ。

カナダガンは、いつも夫婦で仲良く子育てをしている。子供は、2羽くらいから6−7羽連れていることもある。しばらく一定の距離を保って、信頼関係を築くと相当なれてくる。

子供が最初になれて、ゆっくりと親もなれてくる。ここではあまり敵がいないためか、いても鳥の数のほうが多いので気にしない。

"ゆっくり歩くんだ。あせるな!"と、少し歩いては止まり、ガンの様子を見る。

"いいか。自分もガンだと思え!ガンだったらなにを考えるか。そら、ガンが怖がっているじゃないか?写真をとるのも、急ぐな!まだまだ。慌てるな。いくらでも鳥はいるんだから"と相変わらずその動きは、スロー・モーションの映画を見ているようだ。

ゆっくりと動いて、"俺は、お前達には興味ないのだから”と意志をしめす。

真っ赤なパーカーを着ているためか、それとも動きが早すぎるのか、カナダガンは、私から逃げていく。

ブライアンが鳥たちになれるまでに時間はかからなかった。始めに、ひなが慣れて、ゆっくりと親鳥が近づいてくる。ここではあまり敵がいないせいか、人間を気にしていないようだ。

時には、手が届きそうになる距離まで近づくことができ、まるで鳥達と話しているようだ。

"オーイ、今年の子供達はどうだい"。"まーね、かわいいでしょ"とカナダガンとブライアンが喋っているようだ。

二日前まで、東京の雑踏の中を歩いていたことがまるで嘘のようだ。もちろん、ヒートアイランド現象など説明しても、ここでは宇宙人の言葉としかとらえないだろう。今は、極北の大自然の命の営みの真っ只中にいるのだ。


 

しろくまとのおはなし

  つたない文でもあっても                              へたくそと言われても気負わず伝えてみたい                  混沌とした時代                                   心通じる人がいればよい                             一人いればよい。二人いたら、財産家。

  こんな写真が出来ました

 

(2)自然は 不思議だね

 

 

 

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