[HOME] [新着情報] [目次] [講座シロクマ] [シロクマinチャーチル] [フォトギャラリー] [玉手箱] [素材] [掲示板]  

しろくま、ホッキョクグマが歩く町、チャーチルの人達
(その三) チャーチル、Churchillには、エスキモーは住んでいない

人間の感覚の70%以上が目から入ると言う。百聞は一見にしかずと言うが、今のように情報化時代ともなると、余計に視覚がものを言うようになってきた。しかし情報過多という見方もあり、その氾濫に困惑することも少なくない。

そう言えば、眼精疲労はあっても、味覚、聴覚、触覚疲労というのはあまり聞いたことがない。時には目をつぶって休まさなければならない。

寝る時に目をつぶるのは、目から邪魔な情報が入らないようし、睡眠をとることに専念できるからだろう。恋人と手をつないで歩いている時など、目からあまり情報は入らないほうがいい。目に入る景色は、邪魔な情報だろう。なんでも目に映らないほうが、気持ちが集中できる。"目をつぶってよく考えてみなさい"ということはなかなか思慮深い言葉だ。 禅、瞑想、をする時は、目を半分つぶる。
   
バラバラに民族が集まって出来た国がカナダである。だから"民族のモザイク"と言われる。民族を理解するまでには、それなりの時間がかかる。それは私だけではなく、多くの日本人にとってもと言うことにしておこう。

ロシア系、イタリア系、イギリス系でもフランス系でも、日本人の目から見ると、みな白人に見える。その彼らも三世、4世となれば、会話を聞くだけでは、彼らの祖先がどこから移民してきたか、判断しにくい。

それはチャーチルでも同じだ。イヌイットとインディアンなどの区別もしにくい。なかには日本人とのそっくりなのがいる。ましてや極北の先住民の子供となれば、日本人の子供と見分けはつかない。

しかし遠くから見るだけでなく、彼らの家庭などに入って行って、話を聞いたり、その生活ぶりに接しないと分からない。特有な衣装、住居など生活様式や宗教など儀式などを見て、はじめて民族が分かると言うものだ。10回ほどチャーチルへ行き,ブライアンやその友達と行動を一つにして、少しずつつではあるが分かってきた。最初の年は、同じに見えていた人達も、それぞれ大きな違いがあることに気づくようになった。

民族の呼び方も時代と共に変わっている。エスキモーがイヌイットと呼び方が変わってきた。人種なのか民族なのか、整理しにくいこともある。たとえば、アメリカの「黒人」と呼ばれる人達の名称も、時代の反映で必ずしも同じくはしていない。むしろ、今も変化中である。

リンカーン大統領の時代には「カラード」と呼ばれていた。その後、「ニグロ」と呼ばれ、黒人の指導者達もこの呼び方にこだわっていた。その後、ケネディー大統領の時代になって、公民権運動が盛んになると、「ブラック」と呼ぶようになった。そして、「アフロ・アメリカン」。今は「アフリカン・アメリカン」が一般的になってきた。この言葉も時代と共に変わるだろう。すでに若者達は、違う呼ぶ方を始めたと聞く。

「エスキモー」「イヌイット」かという問題も一概に結論づけることはできそうもない。"エスキモーとイヌイットとどちらが呼びやすい?"とガイドのブライアンに、尋ねた。"分からないな!俺はどちらでもいいな。どちらを呼んでも俺には関係ないさ゛と答えるだけだ。

ブライアンが”分からないな”と言うときは、関わりたくないな。返事したくないない”と言うときの口癖だ。

"でも、クリー(クリー・インディアン族)は、イヌイットをエスキモーと呼ぶだろうな。エスキモーを蔑視という人がいるが、昔、極北を探検した人達は、壊血病になってたくさんの人が死んでいった。生肉を食べることを知らなかったからだ。その無知こそ、蔑視されることなのに。むしろ「エスキモー」と言う言葉は、叡智あふれる言葉だと思うよ"という。

ブライアンにとっては、やはりエスキモーと呼ぶほうが好きのようだ。
ブライアンが飼っている犬の飼育場所で、コーヒーを飲みながら、"チャーチルには、どうしてエスキモーがたくさん住んでいないの。ここの住民はエスキモーじゃないの?

"一万年前の話になると、ここはエスキモーの国だったかもしれない。だけど、ここは必ずしもエスキモーだけじゃないよ"と、ブライアンは意外なことを喋りだす。

"ヨーロッパ人がアメリカ大陸にくる前だけど。チャーチルにには、カリブー(トナカイ)の猟をするカリブー・エスキモーとデニインディアンがいたんだよ。カリブーが来る季節になると、この辺りに現れ、猟をしていた。だから、エスキモーとデニインディアンの国だったんだ"と,さすがチャーチル生まれのブライアンは詳しい。ここは、エスキモーの国とばかり思いこんでいたイメージが崩れていった。

新田次郎著のアラスカ物語では、カリブーを追う森林エスキモーの話があった。これをチャーチルでは、カリブー・エスキモー というのだ。

春に、ブライアンと犬ぞりの訓練をしたことを思い出す(参照。シロクマ紀行、犬ぞりでハドソン湾を走る)。ブライアンの犬そりの編成方法は、一本の長いロープの両側に犬を結び、2列縦隊で引かせる。これはカナダ西部やアラスカのカリブーなど大型動物を狩猟するエスキモーが使用するやり方だ。これだと、森林地帯があってもロープが木に絡みにくい。グリーンランドや海岸に住むエスキモーは、木など障害物が少ないので、犬を扇型に組む。

"そうか、ブライアンのそりは、カリブー・エスキモー型なんだね"と、彼はカリブー・エスキモーやデニインディアンから学んだ方法を身につけているのだ。

ますますもって、ブライアンの知識とそのルーツに興味をそそる。

"でも、同じカリブー猟をしていたデニ・インディアンとは仲が悪かったようだよ。今は、カリブーがあまりこなくなったので、エスキモーもデニインディアンもチャーチルにあまり住んでいなくなったんだ。そのあとから別の先住民が移り住むようになったんだ。

”へぇー!”と私は目をまん丸にしてブライアンをのぞき込む。

”Hisa! もっと昔の話をしりたいか?もっと昔はな。ここの先住民は、地の割れ目から現れたのだぞ"とブライアンの口調は、なめらかだ。"嘘さ。また私を混乱させる気だな゛・・・・・・・・・・・・・”

 (続く)

 


前のページへ戻る 目次ページへ戻る

 

 

(C)1997-2006,Hisa.